先週のコミコレ「想い」では、言おうと思うけど、遠慮してしまったり、躊躇してしまったり、まあいいか、と言わないでおいたりする想いについて、どう伝えたらいいのか? ということを、様々な角度から考察しました。そして最後のワークで実際に「想いをどう伝えるか?」について、言おうとしている言葉を発言してみることをしました。そこにコミュニケーションのアドバイスも加え「月曜日には言えるように」と。

 それから1週間後、参加された方からメールを頂きました。伝える言葉を用意していたことで、職場の部下にあっさりと伝えることができたようです。ところが、それで終わらなかったようで、深い気づきのメールを頂きました。

★メールをまとめてみると。

 その相手を良く見ていると、その方が子供の頃に、親にとっていた態度にそっくりだったそうです。それで、母親に申し訳ない気持ちが出て来て、電話で謝ったとのことでした。

 今まで、母親にありがとうは伝えられても、素直に謝ることは出来なかったようです。しかし今回は構えずに素直に謝ることができたと。すると、「反抗期はあるものだからいいんだよ…。優しい子になってくれて良かった」と母親に言われたようでした。

 そう言われたことを感じてみると、母親に言われて嫌だと感じた言葉も今考えると、いつでも味方でいてくれたなぁ。子供の頃のわがままな私にずっと付き合ってくれた親はすごいなぁと、尊敬の気持ちまで湧いてきたようでした。

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1000 相手になにかしら苛立ちなどを感じたとき、自分の中にあるものに反応していたということ。相手は心の鏡だったということがわかります。

 今回は、子供の頃の自分の親への態度が、よろしくないと自分でずっと思っていて、自分を許せていなかったのでしょうか。だから、自分を投影するような部下を引き寄せて、自分の態度を自分で客観視する機会を得たのでしょう。それを見ていると、注意を促さないといられなくなって、コミコレ「想い」で実際にどう想いを伝えるか、考えてみたということです。

 今思うと、コミコレの間中、その部下のことについてクライアントさんはテーマにしていました。途中で「そこにエネルギーを注ぎすぎでは?」という突っ込みもあって、少し軽く感じられたのですが。自分のこととリンクしていたということで、なかなかこびりついて離れなかったのかなと振り返ります。また、一瞬離れたことで、伝えることばが考えやすくなった気もします。

 そして、言葉にして伝えてみると、自分からさらに「離れていった」わけです。今まで、伝えられなかったことを「伝える」という行動に移したこどで、その先の風景も見えてきました。

「あ、自分と似ていたんだ」と。

 そう自分を客観視できて、親への感謝の気持ちを伝えたいという想いに達して、素直に伝えるところまでいけた。「優しい子になってくれてよかった」というのは、まるで許してもらえたかのような言葉です。そうとうツンケンされていたのでしょうか?(笑)

 このクライアントさんとは、私も長いおつきあいになってきました。ずっと母親とのことが出てきて、真実の発見から、じわじわと感謝へ近づいてはいたので、コミコレ「想い」で一つの完結編を迎えたように感じました。ついに、Forgive ⇒ Forgetまで行けたでしょうか。

 自分の「想い」を表現していくことを止めていると、その先の風景は見られないです。コミコレが、恐怖心を乗り越えるきっかけになったようでした。「想いを伝えてその先へ」。人生を豊かにするために、必要なことなのではないかと思います。

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分をいらいらさせる相手はいますか?