昨晩は、改めて61話目の推敲をしました。3月の推敲時点では見えてこなかった、ストーリーの根底にあるものが、少しずつ見え始めてきました。もうちょっとのような気もしています。

 61話は、「自分はこうだ」と決めつけていたことが、恐怖心となって、その先へ進めず、自分を不自由にしていたという話です。2014年夏に90日コーチングを申し込まれて、秋には、考え方、行動、決断が変化したという、スピーディーな変化が見られます。最近は、月1回のセッションの方も多いですが、私としては、自分を変えたいと本気で思うなら、月2回がいいと個人的には思っています。アンテナがたった分、気付きがやってくるからです。私はボイトレは月2回、英会話は月7回通っていますが、回数でかなり違いはあるように感じています。
 月2回ペースだと、新月、満月、新月…と、たまたまそうなって、クライアントさんは意図していなかったようなのですが、月の力も後押ししたセッションでもありました。

 私はこうだ、と決めつけていると、決めつけたところまでしか考えないのです。私はそういう性格だからで終わってしまったり、苦手だからで終わらせてしまったり、自分のイメージしていたこと以外が受け容れられず、それ以外の可能性を見ないようにしているとか、相手のことを先読みして、自分を引っ込めてしまったりもそうです。

無題 それが、クライアントさんの趣味のバレーボールのここぞという試合で、「スパイクが打てない」という現象として何度もでてきてしまった。それで、「スパイクが打てるようになりたい」ということで、私のセッションを申し込まれました。

 セッションのなかで、「どうすればスパイクが打てるか?」と考えたことは一度もないのですが、最終的に「スパイクが何度も決まった!」という結果に結びついて行くのです。

 このストーリーを作っていて、改めて「スパイクが打ちたい」なのに、どうすればスパイクが打てるか? って話を一度もしなかったなぁと気づきました。
 
 「プレッシャーでスパイクが打てない」という緊張感。その緊張感はどんな固まりで構成されていたのか? そこを紐解いていくようなセッションとなりました。
 つまり多くの場合、自分が自分の可能性をストップさせているということなのだと思います。

 可能性が広がらない場合、「考えるのをやめている」のだと思います。面倒くさいからそれ以上考えないというよりも、どこか決めつけてしまう、という名の恐怖心が行く手を塞いでいるのかもしれません。

恐怖心には何が必要なのでしょう? 

 クライアントさんは、毎回のセッション後、新しい行動をとりたくなったり、自然と普段の言動を変えざるを得ない場面を引き寄せたりしました。今までならば、恐怖心でそれ以上の言動へと進めなかったところが、進んだということは、新しい体験が待っているのです。

 例えば、今まで断れなかったことを「断る」にしてみたり、今まで後悔になっていたところを、受け容れてみてポジティブに捉えてみたりしたということです。

 その先の見たことのなかった景色は、思ったよりも優しい気持ちになれる世界だったのです。そんな61話目です。

 しかしながら、私の出番がかなり少ないものとなっています。(笑)実は、『ひとみずむ2,3,4』のころは、敢えて「私のことをあまり書かないでください」と声を大にして言ったことがあったのですが、今回は自然と少ないです。一方、62話目は、私のセリフがきっと多いものになることでしょう。違いも表現してみたいと思っています。