「ひとりで何かをするというのは、どことなく寂しい人?」というテーマでした。
夫婦一緒になにかをしたいと思っても、興味を持っていることが違ったり、相手の用事があり、時間が合わなかったりすることがあるそうです。旦那さんは、あまり自分から誘ってくるタイプではないので、クライアントさんのほうから、「・・・へ行きたいんだけど」と提案をすることの方が多いようです。セッションを受ける前は、自分の希望を言うことも我慢することの方が多く、実家へ帰ることも希望を伝えることが苦手のようでした。
しかし、セッションを重ねて行きながら、仕事でもパートナーシップでも「自分から関わろうとする」というコミュニケーションを意識できるようになり、以前よりも要望を伝えることで、行動的になられてきました。
今回のセッションは、なんと「山の上」からということで!近所に1時間くらいで登山できるお手軽な山があるそうです。2回、電波の不具合で電話が切れましたが、とてもクリアにクライアントさんの声が聴こえてきました。
最近は、夫婦一緒に行くことになることも増えたけれど、相手の都合もあり、ひとりで行くことも増えてきているとか。先日は3時間かけて、かつてから観賞したいと思っていた絵画展へ思い立って行ってこられたようでした。だけれども、「ひとりで行動するのは、寂しい人に思われるんじゃないか」と、心の片隅で「寂しさ」を感じることもあるようです。
「人に思われると言うよりも、『寂しくないもん、ひとりでできるもん』という気持ちが寂しさになっていませんか?」と私が訊いてみると、まさにそのような気持ちが近いとのこと。
本当にひとりだと寂しいのでしょうか?
私も「寂しがり屋」だと、どことなく思っている節がありました。今では信じられませんが、ひとり旅なんてあり得ないほどです。必ず、誰かを誘うことを心がけていたほどなのです。
しかし、独立してからひとりでいることが増えてきて、旅行をするにしても、私と時間があう人がほとんどいなくなり、ひとり旅を余儀なくされました。コーチの播磨さんにも背中を押され、チャレンジしてみることにしたのです。 ちなみに、誕生日占いを観てみると、「ひとりでいること」が私の今世のチャレンジテーマであると書かれており、腑に落ちまくりました。チャレンジを克服できたので、これからです!(笑)
ひとりでいると、誰かから話しかけられることは、とても新鮮でした。また、ひとりで好きなだけ、目の前の景色を味わえたりすることも、新発見だったのです。運転も気楽です。「ひとりはひとりの楽しみ方がある」ということを知ることになりました。やがて、海外ひとり旅も慣れてきた頃、久しぶりにふたりバージョンを試してみたところ、「ふたりはふたりで、別の楽しみもある」ことに改めて気づきました。
「ひとりも楽しいし、ふたりも楽しい」それぞれ違うバージョンで、楽しみがあることを知りました。また、ひとりの時間を充実させることにより、人に奉仕する時間は、相手のために時間を割くことが、苦痛になることがなくなったのです。自我も消えていきました。
「愛することができるためには、ひとりでいられるようになること。byエリッヒ・フロム」 が言っていたとおりでした。
つまり、ひとりでいることを味わったり、ひとりだからできることを見つけたり、ひとりでいるときの楽しみを見出せるようになるといいのかもしれません。クライアントさんの実験課題となりました。
クライアントさんは、もうひとつ懸念していたことがありました。「諦めることについて」です。
我慢をするのをやめて、相手を誘うことができるようになった。出来る限りのことはやったし、いいじゃない。そうどこかで思っていて、「相手に期待するのを諦める」とか「割り切ることの方がいいのかな?」と、ふと思ったようでした。しかし、「割り切る」ことをしたら、「相手との関係性が冷めちゃいそうで怖い」ともおっしゃいました。
「割り切る」というのは、「切る」ということですから、それは怖いことでしょう。割り切らなくていいいのではないでしょうか。
自分で割り切る道にすぐに思考を持っていくのではなく、「選ぶ」というプロセスを挟んでみるのです。「このときは誘う。こちらはひとりで楽しむ」と選んでみればいいのです。
「ダメだったら切るとか、我慢して誘わないとか、極端なところが、自分を寂しくしているのだと思いますよ」と私がフィードバックすると、「確かに、白黒はっきりつけたがるところがありますね…」とおっしゃいました。
「相手がシャッターを閉めたから、自分もシャッターを閉める」は、自分を寂しくする思考です。「相手が閉めても、私は開けておこう。相手は来るか来ないかわからないけれど」と、自分の在り方だけを決めておけばいいのです。
「極端」に考えたり、「切る」というのは、自分で自分を「寂しい人」に追い込んでしまうのです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
極端なところがありませんか?
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
10/8(水)堀口ひとみ独立8周年トークイベント
★Episode2:「ビジネスを継続させる仕組みづくり」
自分のビジネスを持ったはいいけれど、3年続く人は1500分の1。
お客様を集めることが難しいのです。
私が、お客様とつながるためにしていること。
自分の仕事を続けられるためにしていることを
経験談をもとにまとめてみたいと思っております。
夫婦一緒になにかをしたいと思っても、興味を持っていることが違ったり、相手の用事があり、時間が合わなかったりすることがあるそうです。旦那さんは、あまり自分から誘ってくるタイプではないので、クライアントさんのほうから、「・・・へ行きたいんだけど」と提案をすることの方が多いようです。セッションを受ける前は、自分の希望を言うことも我慢することの方が多く、実家へ帰ることも希望を伝えることが苦手のようでした。
しかし、セッションを重ねて行きながら、仕事でもパートナーシップでも「自分から関わろうとする」というコミュニケーションを意識できるようになり、以前よりも要望を伝えることで、行動的になられてきました。
今回のセッションは、なんと「山の上」からということで!近所に1時間くらいで登山できるお手軽な山があるそうです。2回、電波の不具合で電話が切れましたが、とてもクリアにクライアントさんの声が聴こえてきました。
最近は、夫婦一緒に行くことになることも増えたけれど、相手の都合もあり、ひとりで行くことも増えてきているとか。先日は3時間かけて、かつてから観賞したいと思っていた絵画展へ思い立って行ってこられたようでした。だけれども、「ひとりで行動するのは、寂しい人に思われるんじゃないか」と、心の片隅で「寂しさ」を感じることもあるようです。
「人に思われると言うよりも、『寂しくないもん、ひとりでできるもん』という気持ちが寂しさになっていませんか?」と私が訊いてみると、まさにそのような気持ちが近いとのこと。
本当にひとりだと寂しいのでしょうか?
私も「寂しがり屋」だと、どことなく思っている節がありました。今では信じられませんが、ひとり旅なんてあり得ないほどです。必ず、誰かを誘うことを心がけていたほどなのです。
しかし、独立してからひとりでいることが増えてきて、旅行をするにしても、私と時間があう人がほとんどいなくなり、ひとり旅を余儀なくされました。コーチの播磨さんにも背中を押され、チャレンジしてみることにしたのです。 ちなみに、誕生日占いを観てみると、「ひとりでいること」が私の今世のチャレンジテーマであると書かれており、腑に落ちまくりました。チャレンジを克服できたので、これからです!(笑)
ひとりでいると、誰かから話しかけられることは、とても新鮮でした。また、ひとりで好きなだけ、目の前の景色を味わえたりすることも、新発見だったのです。運転も気楽です。「ひとりはひとりの楽しみ方がある」ということを知ることになりました。やがて、海外ひとり旅も慣れてきた頃、久しぶりにふたりバージョンを試してみたところ、「ふたりはふたりで、別の楽しみもある」ことに改めて気づきました。
「ひとりも楽しいし、ふたりも楽しい」それぞれ違うバージョンで、楽しみがあることを知りました。また、ひとりの時間を充実させることにより、人に奉仕する時間は、相手のために時間を割くことが、苦痛になることがなくなったのです。自我も消えていきました。
「愛することができるためには、ひとりでいられるようになること。byエリッヒ・フロム」 が言っていたとおりでした。
つまり、ひとりでいることを味わったり、ひとりだからできることを見つけたり、ひとりでいるときの楽しみを見出せるようになるといいのかもしれません。クライアントさんの実験課題となりました。
クライアントさんは、もうひとつ懸念していたことがありました。「諦めることについて」です。
我慢をするのをやめて、相手を誘うことができるようになった。出来る限りのことはやったし、いいじゃない。そうどこかで思っていて、「相手に期待するのを諦める」とか「割り切ることの方がいいのかな?」と、ふと思ったようでした。しかし、「割り切る」ことをしたら、「相手との関係性が冷めちゃいそうで怖い」ともおっしゃいました。
「割り切る」というのは、「切る」ということですから、それは怖いことでしょう。割り切らなくていいいのではないでしょうか。
自分で割り切る道にすぐに思考を持っていくのではなく、「選ぶ」というプロセスを挟んでみるのです。「このときは誘う。こちらはひとりで楽しむ」と選んでみればいいのです。
「ダメだったら切るとか、我慢して誘わないとか、極端なところが、自分を寂しくしているのだと思いますよ」と私がフィードバックすると、「確かに、白黒はっきりつけたがるところがありますね…」とおっしゃいました。
「相手がシャッターを閉めたから、自分もシャッターを閉める」は、自分を寂しくする思考です。「相手が閉めても、私は開けておこう。相手は来るか来ないかわからないけれど」と、自分の在り方だけを決めておけばいいのです。
「極端」に考えたり、「切る」というのは、自分で自分を「寂しい人」に追い込んでしまうのです。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
極端なところがありませんか?
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
10/8(水)堀口ひとみ独立8周年トークイベント
★Episode2:「ビジネスを継続させる仕組みづくり」
自分のビジネスを持ったはいいけれど、3年続く人は1500分の1。
お客様を集めることが難しいのです。
私が、お客様とつながるためにしていること。
自分の仕事を続けられるためにしていることを
経験談をもとにまとめてみたいと思っております。
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