「仕事での目的意識を明確にしたい」ということから、セッションが始まりましたが、色々と現状の問題についてお聴きし、「自分はどうしたいんですか?」と訊いてみたら、「自分がやってみたいことを、やってみなよ、ということが叶ったことがない気がする」とおっしゃいました。
学生時代は、自分が企画したり、どちらかというと自分の思うようにいかせるようなことを好んでやってきたそうでした。
しかし、社会人になって、上司にいろいろ意見を伝えても、却下されまくりで、やる気が無くなり、自分の思うようにいかないんだからと、そこから引き下がるようになり、言われたことだけやろうと、流れ作業になってしまう自分に今なってしまっているのではないかと、ご自身で気づかれていました。
子供の頃に絵が大好きだったけれど、ある日、そんなにうまくなかったんだ…と気づいたときに、辞めてしまうというような、傷がついてしまった状態に、クライアントさんは、なっているのではないかと感じました。
「何か、自分の内側から生み出すようなことを始めると、錆ついているところは磨けそうですけどね…」と投げかけてみると、「どうせやっても思い通りに行かないんだから」という拗ねた気持ちは、プライベートの趣味さえ、やる気を起こせなくなっているようでした。
「でも」という口癖が多いのも自分で分かっているようなのです。「でも」というということは、何か自分の主張を言いたいことの裏返しでもあります。それを分かっている分、出すと、とめどなく出そうだから、言わないのだそうです。
会社となると、会社と人が絡むものであるから、自分の思い通りに行かないことも、結構あるようにも思います。しかし、趣味の範囲なら、自分がコントロールしてできるところで、自分を満たすこともできるのではないでしょうか。
創造性をはぐくむことを怠っている現状。何か、人にとやかく言われず、自分のやりたいことに没頭できる、お金もかからない程度の趣味でも始めたらいいのかもしれません。
実際、趣味でもした方がいいだろうと気づいたこともあったようで、これまでに、料理、手芸、絵を1日だけやってみたことがあるそうなのです。
料理に関しては、段々と義務のようになってきて、手芸に関しては、親から「あなた、意外と布代にお金がかかるのよ」と言われ辞めたり、絵に関しては、久々に書いてみると、絵が下手になっていることに気付いて、自分で封印してしまったと言うことでした。「自分で芽を出しておきながら、芽をつぶしている」という現状も見えてきたのです。
人からも創造性を阻まれ、自分でも創造性を阻まれ…。でも、話しながら自分で芽をつぶすことはないだろうと気づかれたクライアントさんは、何かを始めて、自分が芽をつぶさない限り、続けられることもなんとなくわかって、忘れかけていた「創造性」を取り戻すためという目的意識を持って、取り組めそうな気持ちになっていきました。
ここまでは、自分との間の話。ここからは、コミュニケーションについて話になりました。
会社に入ってから、「どうせ自分の言った意見は通らない」と思ってしまってからは、上司から言われっぱなしで、自分はダンマリを決めてしまったかのようです。もう、言われたことだけやればいいんでしょと。
しかし、クライアントさんのなかでは、「我を通す」というのと、「意見を言う」との違いを知りたがっているようでした。これまでの失敗を通し、「我を通す」ことをしようとしたときに、うまくいかなくなるのではないかと、薄々感じていたからです。
自分の意見も相手に伝えながら、相手ともやり取りができたら・・・。上司だけでなく、部下とのやり取りももっと自分が望んでいる世界があるかもしれないと。
部下には、「こうしたほうがいい」ということを投げかけてみると、「そうですよね〜」と、うまくかわされて、そう言われてしまっては、もうこちらからも言いづらいと感じているようでした。
しかし、私は言いました。「本当に『そうですよね〜』と思って、その部下は言っていると思いますか?」と。すると、クライアントさんは、ハッとしたようでした。
「地雷を踏みながら、相手と向き合って行かないと、その先の楽園に辿りつけませんよ」と続けて言うと、クライアントさんに笑顔が戻ってきました。
きっと、本当は避けるのではなくて、向き合っていきたいと感じていらっしゃるのだと、その笑顔で感じました。
そこから、どう言えば、我を通すではなくて、意見を言うになるのか? というコミュニケーションの方法について、知恵をシェアしました。
もう、自分の意見を言っても通らないし、でも、言われたことだけやりながら、黙っていても、泥沼に漬かってしまっている自分を、上司たちが引き出してあげようと、アドバイスや精神論を言ってくる…。全然受け入れて貰っている感じはしなかったそうです。
そんなとき、仕事先で、「泥沼に漬かってるときもある。その時は、そのまま漬かっていれば、そのうち出たい時が来るから大丈夫だよ」と言われたとき、自分から出ようと思ったそうです。「北風と太陽の話みたいだった」と、クライアントさんがおっしゃっていました。
「我を通す」ではなく、「意見を言う」の違いについて考察し、色々と気づきました。
「意見A」があったら、それを通すことだけに一生懸命になる人が多いように感じます。特に日本人として。上司や親など、相手より立場が上、というような年功序列も、日本人はいまだに気にしがちです。外国人は、年齢を聞くことは、NG項目になっているようで、年齢を言わないことは、暗黙のルールだったりします。
映画『ハングオーバー』のブラッドリー・クーパーのキメゼリフのなかで、
"I got an idea....but,you're not gonna like it" というものがあります。それを聞いたとき、外国人の方が相手を尊重するイメージがあったのですが、言語としてももはやそれが現れているのを感じました。
自分は「A」で、相手は「B」。そして話あったら「C」になった。そういうのが、意見を言うやりとりではないでしょうか。コーチングが、外国からやってきた輸入物であるというのもありますが、私はそう思えるようになってから、随分楽に自分の意見を言ったり、相手の意見も言わせたりが、可能になりました。
最後に、こうまとまりました。「自分が自分とコミュニケーションをとる時は、我を通してあげる。そうすれば、相手がいてコミュニケーションをとるときに、尊重する気持ちが生まれやすくなるから」と。
自分が自分のやろうとしていることの芽を、自分で摘んでしまったことも、相手とのやり取りにつながっているかのようでした。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
創造していますか?
学生時代は、自分が企画したり、どちらかというと自分の思うようにいかせるようなことを好んでやってきたそうでした。
しかし、社会人になって、上司にいろいろ意見を伝えても、却下されまくりで、やる気が無くなり、自分の思うようにいかないんだからと、そこから引き下がるようになり、言われたことだけやろうと、流れ作業になってしまう自分に今なってしまっているのではないかと、ご自身で気づかれていました。
子供の頃に絵が大好きだったけれど、ある日、そんなにうまくなかったんだ…と気づいたときに、辞めてしまうというような、傷がついてしまった状態に、クライアントさんは、なっているのではないかと感じました。
「何か、自分の内側から生み出すようなことを始めると、錆ついているところは磨けそうですけどね…」と投げかけてみると、「どうせやっても思い通りに行かないんだから」という拗ねた気持ちは、プライベートの趣味さえ、やる気を起こせなくなっているようでした。
「でも」という口癖が多いのも自分で分かっているようなのです。「でも」というということは、何か自分の主張を言いたいことの裏返しでもあります。それを分かっている分、出すと、とめどなく出そうだから、言わないのだそうです。
会社となると、会社と人が絡むものであるから、自分の思い通りに行かないことも、結構あるようにも思います。しかし、趣味の範囲なら、自分がコントロールしてできるところで、自分を満たすこともできるのではないでしょうか。
創造性をはぐくむことを怠っている現状。何か、人にとやかく言われず、自分のやりたいことに没頭できる、お金もかからない程度の趣味でも始めたらいいのかもしれません。
実際、趣味でもした方がいいだろうと気づいたこともあったようで、これまでに、料理、手芸、絵を1日だけやってみたことがあるそうなのです。
料理に関しては、段々と義務のようになってきて、手芸に関しては、親から「あなた、意外と布代にお金がかかるのよ」と言われ辞めたり、絵に関しては、久々に書いてみると、絵が下手になっていることに気付いて、自分で封印してしまったと言うことでした。「自分で芽を出しておきながら、芽をつぶしている」という現状も見えてきたのです。
人からも創造性を阻まれ、自分でも創造性を阻まれ…。でも、話しながら自分で芽をつぶすことはないだろうと気づかれたクライアントさんは、何かを始めて、自分が芽をつぶさない限り、続けられることもなんとなくわかって、忘れかけていた「創造性」を取り戻すためという目的意識を持って、取り組めそうな気持ちになっていきました。
ここまでは、自分との間の話。ここからは、コミュニケーションについて話になりました。
会社に入ってから、「どうせ自分の言った意見は通らない」と思ってしまってからは、上司から言われっぱなしで、自分はダンマリを決めてしまったかのようです。もう、言われたことだけやればいいんでしょと。
しかし、クライアントさんのなかでは、「我を通す」というのと、「意見を言う」との違いを知りたがっているようでした。これまでの失敗を通し、「我を通す」ことをしようとしたときに、うまくいかなくなるのではないかと、薄々感じていたからです。
自分の意見も相手に伝えながら、相手ともやり取りができたら・・・。上司だけでなく、部下とのやり取りももっと自分が望んでいる世界があるかもしれないと。
部下には、「こうしたほうがいい」ということを投げかけてみると、「そうですよね〜」と、うまくかわされて、そう言われてしまっては、もうこちらからも言いづらいと感じているようでした。
しかし、私は言いました。「本当に『そうですよね〜』と思って、その部下は言っていると思いますか?」と。すると、クライアントさんは、ハッとしたようでした。
「地雷を踏みながら、相手と向き合って行かないと、その先の楽園に辿りつけませんよ」と続けて言うと、クライアントさんに笑顔が戻ってきました。
きっと、本当は避けるのではなくて、向き合っていきたいと感じていらっしゃるのだと、その笑顔で感じました。
そこから、どう言えば、我を通すではなくて、意見を言うになるのか? というコミュニケーションの方法について、知恵をシェアしました。
もう、自分の意見を言っても通らないし、でも、言われたことだけやりながら、黙っていても、泥沼に漬かってしまっている自分を、上司たちが引き出してあげようと、アドバイスや精神論を言ってくる…。全然受け入れて貰っている感じはしなかったそうです。
そんなとき、仕事先で、「泥沼に漬かってるときもある。その時は、そのまま漬かっていれば、そのうち出たい時が来るから大丈夫だよ」と言われたとき、自分から出ようと思ったそうです。「北風と太陽の話みたいだった」と、クライアントさんがおっしゃっていました。
「我を通す」ではなく、「意見を言う」の違いについて考察し、色々と気づきました。
「意見A」があったら、それを通すことだけに一生懸命になる人が多いように感じます。特に日本人として。上司や親など、相手より立場が上、というような年功序列も、日本人はいまだに気にしがちです。外国人は、年齢を聞くことは、NG項目になっているようで、年齢を言わないことは、暗黙のルールだったりします。
映画『ハングオーバー』のブラッドリー・クーパーのキメゼリフのなかで、
"I got an idea....but,you're not gonna like it" というものがあります。それを聞いたとき、外国人の方が相手を尊重するイメージがあったのですが、言語としてももはやそれが現れているのを感じました。
自分は「A」で、相手は「B」。そして話あったら「C」になった。そういうのが、意見を言うやりとりではないでしょうか。コーチングが、外国からやってきた輸入物であるというのもありますが、私はそう思えるようになってから、随分楽に自分の意見を言ったり、相手の意見も言わせたりが、可能になりました。
最後に、こうまとまりました。「自分が自分とコミュニケーションをとる時は、我を通してあげる。そうすれば、相手がいてコミュニケーションをとるときに、尊重する気持ちが生まれやすくなるから」と。
自分が自分のやろうとしていることの芽を、自分で摘んでしまったことも、相手とのやり取りにつながっているかのようでした。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
創造していますか?
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