自分の言ったことで他人が影響を受けているのを目の当たりにしたとき、影響を与えてよかったのかな? 悪いわけではないけれど、と違和感を持ったことについて考察するセッションでした。
「○○があるといいですよね」と、あまり何も考えずに相手に言ってみたら、相手がすぐ実行に移したことで、驚いたそうです。また、困っている同僚がいたので、こちらから話を聴く機会を持ってあげた方いいかなと察し、お茶をしたそうです。そして翌日、相手がかなり元気になっている様子を見たときにも、影響を与えてしまってよかったのかな? と思う自分がいたとか。
逆に以前は、自分が影響を与えていることまでみえていなかったから、怖いことではなかったそうなのです。今のほうが相手のことまで見えるようになったことで、その恐怖心に気付いてしまったとのことでした。
相手に「ありがとうございます」と言われて、「そう言ってくれることはありがたい」と受け取ることはできても、「本当にこれでよかったのかな?」という思いは、一体どこから来るのでしょうか?
まず、「影響を与える自分になったこと」に戸惑っている様子も伺えます。
「影響を与えるようになる」理由は、今の会社に3年目になり、新しい人よりも知っていることが多いので、決断を委ねられたりするのだそうです。そうなったとき、「私が決めていいことなの?」と思うようです。今までは、自分ではなく、先輩が決めることだったようでした。
一つの考え方としては、これまでは自分が自分の仕事ができる範囲でよかったけれど、これからは、人に相談されたり、決断を委ねられたりすることが、自分の成長につながるのだから、と自分の立ち位置の変化を認識することで、気持ちは落ち着くのかと思います。
例えば、私が店長になったときも、そんな風に思いました。今までは、自分の仕事だけできていればよかったのに、これからは、部下に仕事をさせて部下の仕事の成果が私の成果にもつながるという意識です。そんなときは、「こんな言い方でいいのかな? こんな伝え方でよかったのかな?」などと、悩みやすいところなのでしょう。
店長にならざるとも、親になったときも、同じように悩むところなのかもしれませんね。管理職もそういう悩みを持った途端に、コーチングの本を読んだりするのではないでしょうか。次なる自分の成長の道は、人にも影響を与えることなのかもしれません。
「成長したいのならば、進むしかないですね」とクライアントさんに伝えると、「成長したいですね〜」と返ってきました。
さて、これで考え方が見つかりました。ここからは、さらに心に問い掛けてみました。
「そもそも影響を与えてはいけないと思うことはあるのか?」と訊いてみました。
すると、「悪い影響ということもありますよね…」とクライアントさんがおっしゃいました。それを聞いて私は、「影響は、よい影響のことを指し示すことが多いけれど・・・。悪い影響っていう言葉が○○さんから出てきたということは、影響を与えてはいけない人、と自分で自分のこと思っていますか? 自分がした行動のせいで、悪くなったことがあるとか? 自分は悪い行動をしたわけでないけれど、相手にとっては悪い影響を与えたことがあるとか?」とクライアントさんの心に問いかけてみました。
そこで、ふとクライアントさんが思いだした出来事がありました。もう20年も前のことです。自分がした決断が原因で、相手にとっては悪いことになってしまったことを思い出していました。感情から記憶は蘇るものですね。
「相手が悪くなったのは、私がした決断のせいだ。申し訳ない事をした」と、どうやらそのときのことが、荷物になっているようでした。数年前からしたいと思っている引越しも、できないでいたのだと、気づかれていました。
つまり、「自分のしたことで、相手に悪い影響を与えてしまったんだ」という20年前の思い込みが発見されたのです。
ここで、「その相手は関係ない」という状態を仮定して、自分がしたいことをすることについて想像してみました。
話していくうちに、同じ相手を見るにも、受け入れることができている人の存在も分かりました。その人は、相手のありのままに対して、自分がどう動こうか常に考えているから、いつも穏やかなのかもしれない、ということも見えてきました。
そんな人のことを客観的に見た感想として、「自分が好きなことをさせてくれるのが愛ですよね」と、クライアントさん自らが発した瞬間、「相手にどこかで変化、成長することを期待していたんだ…。その相手のことをゆるしていませんでした…」と気づかれていました。
自分が悪い影響を与えてしまったと自分を責めている自分をゆるし、相手がありのままでいることをゆるすことで、きっと20年前に担いだ荷物を下せそうに感じられたようでした。過去を手放し、自分が心から望んでいる方へと、誘われていかれるといいですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
なんだか悪い感じがすることってありますか?
「○○があるといいですよね」と、あまり何も考えずに相手に言ってみたら、相手がすぐ実行に移したことで、驚いたそうです。また、困っている同僚がいたので、こちらから話を聴く機会を持ってあげた方いいかなと察し、お茶をしたそうです。そして翌日、相手がかなり元気になっている様子を見たときにも、影響を与えてしまってよかったのかな? と思う自分がいたとか。
逆に以前は、自分が影響を与えていることまでみえていなかったから、怖いことではなかったそうなのです。今のほうが相手のことまで見えるようになったことで、その恐怖心に気付いてしまったとのことでした。
相手に「ありがとうございます」と言われて、「そう言ってくれることはありがたい」と受け取ることはできても、「本当にこれでよかったのかな?」という思いは、一体どこから来るのでしょうか?
まず、「影響を与える自分になったこと」に戸惑っている様子も伺えます。
「影響を与えるようになる」理由は、今の会社に3年目になり、新しい人よりも知っていることが多いので、決断を委ねられたりするのだそうです。そうなったとき、「私が決めていいことなの?」と思うようです。今までは、自分ではなく、先輩が決めることだったようでした。
一つの考え方としては、これまでは自分が自分の仕事ができる範囲でよかったけれど、これからは、人に相談されたり、決断を委ねられたりすることが、自分の成長につながるのだから、と自分の立ち位置の変化を認識することで、気持ちは落ち着くのかと思います。
例えば、私が店長になったときも、そんな風に思いました。今までは、自分の仕事だけできていればよかったのに、これからは、部下に仕事をさせて部下の仕事の成果が私の成果にもつながるという意識です。そんなときは、「こんな言い方でいいのかな? こんな伝え方でよかったのかな?」などと、悩みやすいところなのでしょう。
店長にならざるとも、親になったときも、同じように悩むところなのかもしれませんね。管理職もそういう悩みを持った途端に、コーチングの本を読んだりするのではないでしょうか。次なる自分の成長の道は、人にも影響を与えることなのかもしれません。
「成長したいのならば、進むしかないですね」とクライアントさんに伝えると、「成長したいですね〜」と返ってきました。
さて、これで考え方が見つかりました。ここからは、さらに心に問い掛けてみました。
「そもそも影響を与えてはいけないと思うことはあるのか?」と訊いてみました。
すると、「悪い影響ということもありますよね…」とクライアントさんがおっしゃいました。それを聞いて私は、「影響は、よい影響のことを指し示すことが多いけれど・・・。悪い影響っていう言葉が○○さんから出てきたということは、影響を与えてはいけない人、と自分で自分のこと思っていますか? 自分がした行動のせいで、悪くなったことがあるとか? 自分は悪い行動をしたわけでないけれど、相手にとっては悪い影響を与えたことがあるとか?」とクライアントさんの心に問いかけてみました。
そこで、ふとクライアントさんが思いだした出来事がありました。もう20年も前のことです。自分がした決断が原因で、相手にとっては悪いことになってしまったことを思い出していました。感情から記憶は蘇るものですね。
「相手が悪くなったのは、私がした決断のせいだ。申し訳ない事をした」と、どうやらそのときのことが、荷物になっているようでした。数年前からしたいと思っている引越しも、できないでいたのだと、気づかれていました。
つまり、「自分のしたことで、相手に悪い影響を与えてしまったんだ」という20年前の思い込みが発見されたのです。
ここで、「その相手は関係ない」という状態を仮定して、自分がしたいことをすることについて想像してみました。
話していくうちに、同じ相手を見るにも、受け入れることができている人の存在も分かりました。その人は、相手のありのままに対して、自分がどう動こうか常に考えているから、いつも穏やかなのかもしれない、ということも見えてきました。
そんな人のことを客観的に見た感想として、「自分が好きなことをさせてくれるのが愛ですよね」と、クライアントさん自らが発した瞬間、「相手にどこかで変化、成長することを期待していたんだ…。その相手のことをゆるしていませんでした…」と気づかれていました。
自分が悪い影響を与えてしまったと自分を責めている自分をゆるし、相手がありのままでいることをゆるすことで、きっと20年前に担いだ荷物を下せそうに感じられたようでした。過去を手放し、自分が心から望んでいる方へと、誘われていかれるといいですね。
今日はこちらの質問はいかがでしょうか?
なんだか悪い感じがすることってありますか?
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