人間が成長していく中で、「自我を消す」が必要に感じる場面が出てきます。私も33歳くらいのときに、あるベストセラー作家の講演会へ行ったときに、「ベストセラーを出せた秘訣は?」との質問にその作家が「自我を消して、消して、消すことです」と答えたことがとても印象的でした。そこから、「自我を消す」ことについて、数年考え続けました。ひっかかったということは、自分の中に何かがあるからでしょう。

 「自分のことを消して、人のためになれるのかどうか?」このことについての答えを提示してあるものは、どこにもなく、自分でその感覚を得られたらいいなと、試行錯誤してきました。

 あるとき、本当にたまたまなのですが、私のマンションの前の施設に、天皇皇后両陛下がいらっしゃるというお知らせがマンションに貼ってありました。ベランダから手を振らないようにとの注意書きです。
 せっかくの機会ですので朝10時から下に降りて、いらっしゃるのをお待ちしていました。そして、施設の中を見学されて終了するまでの1時間くらい、外で待っていました。道路側のガラス張りの通路を通るとき、天皇皇后両陛下は必ず、こちら側に手を振って下さいました。視察が終わり、両陛下が玄関から出られ、お車に乗られるとき、やはり私たちのほうに手を振ってくださいました。私は、なぜか涙が出てきました。それで私は「自我を消す境地」も感覚的にわかったのです。不思議な出来事でした。


 それから、私の傾聴や発する言葉はどんどん変わっていきましたし、どこを削ればいいのか? などもすぐにわかるようになって、今まで試行錯誤してきた自分の言葉の出どころが、ようやくチャンネルがあってきたようになったのです。言葉で説明されるよりも、その境地に直接触れることが一番早いのです。

 先日、久しぶりに直接会ったクライアントさんに、「お久しぶりのリアル堀口さんは、安心感が半端なかったです」と後からメールを頂きました。私が31歳の独立したばかりのころ、10歳くらい年上の方々は、そんな佇まいだったのを思い出しました。私もあれから10年が経過し、そんな安心感がにじみ出るようになってきたのかもしれません。

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 さて今日のクライアントさんも、後から振り返れば「自我を消す」話だったなと思いました。

 旦那さんの話を聴くときに、どうも自我が邪魔をしているようで、相手の話をちゃんと聞けていないということが見えてきました。聴きながら、自分のなかでいろいろな感情やジャジが浮上してきているということです。

 ただ聴くことができていれば、余り雑念は起こりません。聴くというのは、「相手の話を理解しよう」とする時間であり、「相手に何かを言ってやろう」とか、「本当はそのことじゃなくて違うんだけどな」とか、「それは違う」など、聞きながら同時に思う必要もないのです。

 聴くだけ、ジャッジしないを訓練していくこと。聴きながら、いろいろな感情が湧いても、そう感じたんだ、とただ自分の中で受け止めるようにすること。そんなことに意識を向けていると、だんだんと、ただ聴くだけができるようになっていくのです。それが修行です。

 ちなみに、この修行体験を残しておきたいと思い、傾聴DVDを2013年に作成しました。自我を消すことについての私の方法を話しています。★傾聴DVD

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★セッション後ご感想を頂きました。

 今日は、こたえました…。どうしてやさしくなれないのか…。(中略)そして修行…。そういえば元日に、これからやってみたいことの中に「寺で修行する」と書いてました。実際は、スケジュール的に無理だなと。出かけなくてもいいんですね。多分これが本当の意味での修行ですよ!今日は途中でグチグチとしゃべる私に喝入れてくれた堀口さん。まさにお坊さんでした。ありがとうございます。「自我ってこれか…」少し時間かかるかもですが、未来へのスパイラルがうまくつながるように、やっていきたいと思います!ありがとうございました。グッタリ…。

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 >まさにお坊さんでした。 には笑ってしまいました。前世の一つは、スイスで牧師だったようですから。(笑) 現代は滝に打たれなくても、日常生活で修行ができるのです。自分の中のエゴー!!!を消してみるとどうなるのか?! これからのクライアントさんの変化も楽しみです。



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ロバートの言葉で心の温度が上がるかも。

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