「人とのかかわりを心地よいものにする」というテーマでセッションでした。
 新しい人に会うことが苦手。緊張する。変に思われないかな?と、人とのコミュニケーションに苦手意識を感じることが多くなり、とくに社会人になって立場も違う人たちと接するようになってから、当たり障りなくいることが多いようです。当たり障りなくというのは、我慢をしてしまい、伝えないでいることもあるそうです。クライアントさんは海外に住んでいらっしゃるので、語学力の問題もあるかもしれないけれど、日本語として考えても、やはりメンタル面の問題なのかなということでした。
 理想の姿は、好きでも嫌いでもなくて、心理的引っ掛かりもなく、自分を卑下するわけでもなく素直に言えることとおっしゃっていました。

 人に寄るけれど、今は何を言われても敏感に反応しがち。例えば、「フランス語はこう言うんだよ」とパートナーのご両親に言われると、「また言われた・・・」と、自分を責めて結局辛くなることにつながるそうです。他にもどんなときに心地悪くなりがちなのかお聞きしてみると、ひとつの同じ見方が浮き上がってきました。

t それは、「評価」とか「いいか、わるいか」などの判断が入る傾向があるからです。言われたことを「悪いことか、良いことか?」で受け取っているのです。そこをありのまま(ニュートラル)に受け取ってみるとどうでしょうか?

「フランス語はこうだよ」
「なるほど、そうなんですね」

 また「教えてくれるなんて、ありがたいじゃない」というような、ポジティブ寄りの受け取り方もあると思います。しかし、自分の気持ちが辛くなっているときに、ありがたいと思うというところに、すぐに飛べるかというと、結構無理があるかもれません。ですのでまずは「なるほどそうなんですね」と受け取る習慣を持つとスムーズになりそうです。

 自分はこう思っているのに、相手にああ言われたことによって否定された気持ちになることはあると思います。そんなときでも「なるほど」、と言う癖をつけていくのです。そうすると何に気づけるかと言うと、ありのままの価値に気づけるのです。

「もっとこうした方がいいのに」
「なるほど。そう感じたんですね」

 実際に、ライブ仲間と歌い方について話しているときにそんなことがありました。相手の感じたこととして受け取ってみたら、語尾が伸びる歌い方が特徴である私にとって、リエゾンのある英語の歌詞のほうが声の特徴を生かせる可能性があると2日くらいかけて気づきました。その後、毎日のように洋楽を聞いています。
 そして、実際にある歌を人前で歌ってみると、日本語バージョンよりも英語バージョンの方が楽に歌っているように感じるという感想があり、私自身も発声が楽だったのです。可能性としてこれからレッスンに取り組むつもりです。また新しい自分の声を発見できそうで楽しみになっています。

 ニュートラルといえば、「3歩進んで2歩さがる=5歩歩いた」はとてもわかりやすい喩です。評価が加わると、「1歩は進めた」とか、「2歩も下がっちゃった」などと表現されるでしょう。この真髄に気づく方法は、目を瞑ることなのです。

 評価だなと感じても「なるほどね」と返すことを意識づけてみること。自分がどれだけ評価に感情を左右されてきたか、客観視できるでしょう。自分だけでなく、多くの人は「どちらか」に偏り気味な世の中であることにも気づきます。
 また相手も「なるほどね」と言われれば、角が立たず話を続けることができるのです。私の仕事は、相手にいかに話していただくかですので、「なるほど」という言葉は自然と使う頻度が高いです。相手が自分と違う感性であって、そんなこともあるのか! と驚くこともありますが、「なるほどね」と返すのです。だんだん、なんでもあるんだな〜と、自分自身の器が広がっていくのを感じますし、相手から色々と引き出すことができ、こちらも賢くなれるのです。

 負けず嫌いなところがあるとおっしゃるクライアントさんは、だったらやってみよう! という気持ちになれたようでした。

 セッション後メールを頂き、「コミュニケーション能力がまだまだ改善の余地がある」と指摘をしてきた上司の背景も色々と見えてきたことがあったようです。
 もしかしたら、上司の方が困った事や不快な目にあったのかもしれないな・・・と、申し訳なくも感じたようです。これからは、自分自身が受け取る器量を広くすることで双方が心地よいものになれそうだと見えてきたようでした。
 「なるほどね」ととりあえず言う。そのうち自然に「なるほどね」が心地よいことになると思います。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分のありのままの価値を見つけようとしていますか?