「やろうと思っていて、やっていないことがいっぱいあるので重荷をおろしたい」というテーマのクライアントさんのその後のセッションがありました。
 「溜ってきたらリセットすればいいから」とか、「TODOリストをつけて後でまとめてやればいいから」という習慣が返ってやらないことを促しているのではないか? というまとめになり、「そもそもすぐに行動をする人は、思ったときにすぐにやっているから、TODOリストも要らない」という話になりました。
 その後、「思ったときにやる」を意識し、やっていなかったことを進め始めたようでした。

 今回は、「それでもまだ重荷をおろしたい」ということで、そのほかにもやろうと思っていてやっていないことをアウトプットすることから始まりました。

 「色々と手続き系であるんですよね」と。しかし、実際のところ手続き系で溜めているものは1つしかありませんでした。

 続いて、写真のデーター整理が残っているそうです。「どのように整理するか?」について、一緒に考えながら、整理の仕方よりも、整理しないで済む方法を考えたほうがいいのではないかと、私は、段々と感じてきました。整理しないで済む=いつも整理しているというだけの話です。

 そもそも、「面倒くさがり」であることについて、考察してみることにしたのです。

 クライアントさんは、「長い目でみたら、その場でできたほうがいいというのは分かっているのですが、面倒くさがりなんですよね。ちょっと後にしようとか。メールの返事は、落ち着いて考えようと思いつつも、忘れてた! になったり、気分に左右されるんですよね。考えて返したり、大事にしたいのもあるんですけど。写真も、自分の中でベストの時、とか思ってしまうんですよね。やり始めたら、一定の水準までやりたいし、でもそう考えると面倒くさいイメージがしてしまって」とおっしゃいました。

00423687 「面倒くさい=やらなくてはいけない。やったほうがいいんだろう」そんなイメージが心の中に広がるようです。

 「面倒くさい」と思わない人は、どんなイメージの仕方をしているのでしょうか? 
 私は、面倒くさいという言葉は、ほとんど使ったことがありません。人が、面倒ということこそ、やってみたいと思ってしまうあまのじゃくなところもあるほどです。

 先日、ジムにいるときに、急に「そろそろ歯のクリーニングへ行こう」と思い立ち、ウォーキングマシーンに乗りながら、新年早々に予約を入れました。電話1分で予約完了です。新年そうそう、きれいな歯になったら、気持ちがいいなぁと思ったのです。

 その話をクライアントさんにすると、「ああ、いいですね。話を聞いただけでスッキリしました」とおっしゃいました。

 それを聞いて、私が思ったのは、クライアントさんの面倒くさいイメージは、何か得体の知れない、面倒くさいイメージが広がっているだけで、実際の「歯が奇麗になった」とか「電話1本」という事実にフォーカスしていないということです。


 数字を具体的にすれば、結構簡単なのかもと思えるのかもしれません。
 「10分で終わる」とか、「ちょっと大変そうだけど、時間にしてみたら1時間程度のものだ」とわかると取りかかったりするのではないでしょうか。

 私は、掃除をするときに、「掃除機は5分で終わる」とか、「窓掃除は20分で終わる」とか、数字で把握しているところがあるのです。そうすると、さして面倒というイメージは出てきません。

 ちょうど、クライアントさんが、前回のセッションの後から、日記のアプリで、毎日の行動日記をつけ始めたそうなのです。その時に、毎日言語化することで、今までよりも、毎日やったことが具体的になっている印象をもったとおっしゃっていました。

 となると、今後、面倒くさいイメージだったものを事実で捉えることによって、そんなに大変じゃないというイメージの書き換えが起きるのではないかというところに、つながりそうという話になりました。


 面倒くさいというのは、幻想なのです。○○分で終わるとか、終わった後はこうなるという結果や事実にフォーカスすることで、幻想と言う名の重荷が、ふわっと消えてなくなる・・・・事を祈りましょう。

 これは、整理整頓に限らず、「イメージで捉える」ことで、事実を見えなくしていることも、この先何か見つかりそうな予感です。続きがありそうですね。

 事実を捉えることができると、いつも身軽なのかもしれません。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

イメージが大変そうだから、やっていないことはありますか?