「待つことと我慢していることの違いを考えたい」というテーマでのセッションでした。

 前回のセッションでは、「本当は相手に言いたいことがあるけれど、言わないでいることで、やっぱり言えば良かったとか、我慢しなきゃよかった、言えない自分は自分らしくない…と、結局自分を責めることにつながる」ことについて、突破口を考察しました。

 出てきた答えは、「言おうとする」のではなくて、「言わないことを能動的に選ぶ、待ってみる」です。
 クライアントさんは、基本、能動的に関わりたいと思うタイプの方のように感じたので、「能動的に待つ」は、しっくりときたようでした。

 それから、忙しい3週間が過ぎ去り、今回のセッションでした。セッション準備シートを書くために振り返ったとき、「今までだったら『こんなに我慢しているのに!』とイラっとしていたのに、待つことができた瞬間がそういえばあった、そのとき、イライラしなかった」という変化を体感していたことを改めて感じられたようでした。

 セッションを受ける前の段階では、言えないことを我慢していることは、自分を責めることにつながっていた。それすらも気づいていない状態でしたので、着々と感性が変わっているようです。

 前回から、「相手を待ってみよう」に視点が向けられたら、待っているとき、相手のことを考えている自分に気づけたそうでした。以前は、「自分が言うかどうか」だったので、自分が目を向けるところも変わっていました。

 そして次に、「指導するとき、待つことと我慢していることの違いって何?」という疑問が湧いてきたのだとか。
 具体例をあげてもらうと、別のことをすれば、もっと習得もできるのにとか、部下が準備が足りない。知識を調べてこない状態なのに、進もうとしているときの指導の仕方のことだそうです。

 相手に「もっとこうしたほうがいいよね」と言うと、「もうやってますから」となったり…。クライアントさんとしては、相手が自分からできるようになるといいし、自分で気づいてほしいのだそうです。

MH900382689 待つのと言わないのとの境目。他の同じ立場の人たちを見ていると、言わないで我慢している人が多いように見えるのだそうです。
 相手を尊重しようとして、「ここは言わない方がいいかな」と思って言わないでいると、相手も言われていないわけですから、なかなか視点が変わらないこともあるでしょう。
 だからと言って、言ったとしても、「今からやろうと思ったんです」というような答えが返ってきたときに、チーンとなってしまいそうですし。困る場面ですね。だったら言わないで待つのか? 反論されるのが面倒だから言わないのか? それとも言うのか? 


 ふと私が思ったのは、クライアントさんは、はじめから待とうとしていることについて考えているけれど、待つのは、伝えた後にしてみたらどうだろうか? と。
 伝えるけれど、本人が今すぐに学ぶか、後から気づくか、そこは本人にお任せできるかどうか、ということです。

 誰しも、あとから「言われて良かったな」と思うこともあるのではないでしょうか。あの人が言ってくれたからよかったとか。伝えるけれど、あとは待つということです。それで変わる人もいれば、変わらない人もいる。ダダそれだけのことなのかもしれません。

 「分かってくれないだろう、よりも、いつかわかるかな、と相手を信頼して伝える自分でいよう」。
 クライアントさんとしても、自分らしい形のように段々と感じられたようでした。

 
 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

相手に変わって欲しいと思うことはありますか?