00403756「周りを気にして言えないときがある」というテーマでのセッションでした。
 知人がヨーロッパ旅行へ行ったときの話を、身を乗り出すように聞いていたら「ようやく話せる人がいて嬉しいわ」と言われたそうです。クライアントさんの周りでは、「海外旅行へ行くよりも、日本がいいわ」というひとが多い傾向にあるらしく、その知人の方もなかなか話せる人がいなくて困っていたようなのです。

 クライアントさんも周りを気にしてしまって、自分が主催するイベントを人知れずやったつもりだったようですが、思わぬところから、「やったんですってね!」と言われて、関心を持ってくれたことは嬉しいけれど、恥ずかしい気分も同時に感じたとのことでした。

「恥ずかしい気分」をもう少し言語化してみました。イベントの場面では、服装もいつもと違う自分を装い、話し方もちょっと変えて、自分を隠すようにしているバージョンだから、相手にも違う風にとられがちだし、いちいち言われるのが嫌になっていたという状態が見えてきました。

「いつもと違う自分」に結果的になってしまう、深層心理はなんでしょうか?

 本当は話したい楽しい話があるけれど、相手は、そのことをあまりよく思っていないから、遠慮して話せない。自分はその意見とはちがうけれど、同意しなくちゃ嫌われそうだから、同意する。本心ではない。
 一方、同じ相手でも、共通項がある話題になると、そのままの自分でいられて楽だし意見も言える。

 ずっと、そのままの自分でいられたら楽だけれど、そういられない。なぜならば、嫌われたくないから、そのままの自分だと愛されないとどこかで信じてしまっているから、という思い込みが出てきました。

「自分のままだと愛されない」思い込みは、どうしたら手放せるのでしょうか? 

 確か旦那さんの前では、いつもそのままの自分でいるような話を、かつて聞いたことがあったので、再び振ってみると、「旦那の前では200%そのままです。(笑)長く一緒に暮らすし、嫌われないかもと信じているから。あー信じているのか〜!」と答えながら、自分で納得されていました。

 しかし、問題の相手には、「もしかして、信じてもらえていない?」と思うような態度をされているように感じて、「あの態度、もしかしたら、私嫌われるかも…」と、そちらへ思考が進んでしまうのだそうです。

 しかし、そんなことを繰り返しながらも、「結局、関係性は続いているから、嫌われてはいない」と、真実が見えてきました。そして、どんな気まずいことがあろうとも、数日経つと相手は、「○○があるんだけど、一緒に行かない?」と電話をしてきたりするのだそうです。
 
「嫌われているのかな? と思ったとき、好かれようとしてお団子を持っていったりしていませんか?」と冗談で聞いてみたのですが、「持っていきますね。本心ではありませんが」と笑ってお答えになりました。お団子は、自分のざわざわ感を抑えるためでもありそうです。一方、相手と関係性をつなげたいという思いの表れでもあります。相手には、もしかしたら、そう取ってもらえているかもしれないですね。

 でも、自分の中では、不安がどことなく付きまとわっている感じです。

 ストレスになるポイントを確認すると、相手の反応が気になったとき、さっきのあれが原因だったかな? と自分を責めてしまい、「嫌われたかも…」という妄想の世界へ突入してしまうところです。そして、本心でもないフォローをする。

 ここで、200%自分でいられるときを、言語化してみました。
 「相手の反応」→「ああ、いつものあれだわ」→「そっとしておこう」。関係は続いていくからと信じていれば、そう見られるのかもしれません。
 そこに至るまでには、数々の過去の恐怖の体験がよみがえるそうなのですが、(笑)それを経ているからこそ、「そっとしておこう」という余裕と、色々あっても続いていると信じる気持ちがある気がしました。

 つまり、「いつものあれだわ」と理解すれば、そっとしておいてあげることもでき、自分の妄想の世界に入らず、無駄にお団子を持っていかないだろうという結論に辿りつきました。お団子は、本当においしいものがあったとき、相手と分かち合いたいものを買っていけると楽しそうですね。(笑)

 こちらが、「気まずいかな」と焦っているだけで、相手にとっては、相手にしかわからないコンディションがあって、時間が経てば、また元通りなのかもしれませんね。
 

 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

焦っていませんか?