10年くらい同じ職場で働いていらっしゃる方が、最初にA部署にいて、途中でB部署に異動し、今は、5年ぶりくらいにA部署に戻られたとか。久々に戻ったことで、できないことも多くて、異動してから3ヶ月は、本当にしんどかったそうです。

 また、A部署は、自分と似ている仲間が多く、そんな中に入ると焦る自分を感じたようです。ちなみに、B部署は、自分と違うタイプの人たちが揃っていて、個性があって楽しかったとのことでした。

 なぜ、似ている仲間の中にいると、焦ってしまうのでしょうか?
段々と質問をしながら、紐解いていきました。

 最初、B部署は、相手と自分が違うことをネガティブに感じてしまうこともあったけれども、段々とそれぞれの違いがあるから、チームになっていると考えられるようになって、自分らしく、のびのびと仕事ができたようでした。

 A部署は、同じだからダメ? とは、一体どこに焦りを感じるのでしょうか?
具体的に焦る場面を聞いてみると、後輩に赤ちゃんができたとか、苦手なスタッフがいるとか・・・・そんな場面だと。

 「比較かな?」と思ったので、「同じ人が多い中で、比較をするとしたら、どんな比較の仕方をするのですか?」と聞いてみました。

 すると、経験値にレベルを付けて、相手はレベル7だけど、自分はレベル3だし・・とか、世間の基準との比較をして、自分がそうなっていないと、自分を否定してしまうようなのです。

 例えて言うならば、子育てをしているお母さんたちの集まりとか、学校のPTAとか、家族があって、子供がいてというところが一緒だからこそ、競争意識とか、比較意識とかがある、というのと似ているようでした。

 比較をすることが、自己否定へとつながっていくので、段々と見ないように、感じないように、「着ぐるみ」を着て、仕事をしているような姿がイメージに浮かびました。
「着ぐるみ」に気付いた時には、クライアントさんとちょっと笑えてきました。(笑)

 以前は、違いがあるから、ネガティブに感じてしまうと思っていたところから、違いがあるからいい、という風に捉えられるようになった。
 今は、「同じような境遇のなかでも、違いを見つけられますか?」というような、発展問題がやってきたかのようですね。

 同じような仲間のときにも、違いを見つけられるような、心の目を開いて見ることができたらいいのではないかと思いました。

 つまり、「ほめる」という視点よりも、「相手のそのままを伝える」ことを意識して、相手のことを見てみようとすればいいのです。
 相手のそのままですから、褒めるよりも、もっと本質的なことを相手に伝えることになるのです。

 褒めると、相手が謙遜することも多いですが、本質的なところを伝えると、「え? そこか!」と感心してしまうのです。相手も唸るような、「渋いフィードバック」を是非してみてほしいところです。

 自分も気づいていないことを言われたとき、まずは、その表現に感心してしまったことがありました。それから、自分のことがよくわかったので、いい言葉を頂いたなぁと思えました。褒められるのとは違う受け取り方です。私もそんな感じ方ができたらいいなぁと思い、意識するようにしたら、感性が高まっていきました。


 そのような感じ方ができるようになると、「比較のステージ」から、完全に降りることができると思うのです。「違うからいい」というような表現さえも、しなくなるのではないでしょうか。


セッション後、1週間してクライアントさんから、
その後の様子をメールで頂きました。


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同じような立場の人を必要以上に意識していたこと、
着ぐるみをきて職場に行っていたこと、
そりゃあ、自分で自分を苦しくしちゃいますよね(苦笑)

セッション後にどうなるのか、今週は職場で着ぐるみを
着ない実験をしましたが・・・気持ちがとっても楽でした。

同じように見えても、本当にいろいろなんだな〜違うんだな〜
というのがわかり、ストンと心に入りました。

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 恐怖だから、着ぐるみを着て、そこから世の中を眺めるよりも、着ぐるみを脱いで、ちゃんと見て、感じて、味わっていくことです。視野を広げた方が、怖いものは減っていくのだと思います。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

ちゃんと見てみますか?