直接、危害を加えられるわけではないけれど、職場で、ある人から何かを言われる毎日で、とても苦痛であるという悩みのセッションがありました。

 そういう話は、以前にも訊いたことのある類だと思いました。自分が今、たまたま標的になっていて・・・という。

 たった一人の言動が、自分を人間不信に追い込んで、フェイスブックで、昔の友達から申請がきても、全て拒否にしてしまったり、退会してしまったり・・・・そんな話も聞いたことがあります。

 相談された方は、相手からの言動に対して、自分がどんな心の持ち方をすれば解決できるのか? を考えてみたいと最初におっしゃっていましたが、セッションでは、自分を追い込んでしまう思考のパターンが段々と見えてきて、最後にはこれからのテーマが浮き彫りになりました。

 問題の真の解決は、相手とどう対峙するかよりも、自分に気付くことにあるのです。相手は自分の鏡です。何かを知らせてくれているのかもしれません。

 この話を聴いて、私も同じような経験をしたことを思い出しました。
いたずら電話がたまにかかってきて、とても怖くなったので、電話を出なくなってしまったことがありました。するとある日、本当に必要な電話をしてきたお客様に、ご迷惑をかけてしまうことが起き、メールで謝罪することになってしまいました。
 一人からのことに反応して、他の人に迷惑をかけてしまうなんて、本当によくないなと思いました。

 そして、自分のコーチにいたずら電話について、相談したら、「電話がかかってきたら、『もうわかってますよ』と出ればいい(笑)」と言われたので、なんか少し気持ちが楽になったんですね。
 そして、実際に出た時にそう言ってみたら、電話の相手は何も反応がなかったので、電話を切ってあることに気付いたんです。

 「もしかして、このいたずら電話は、自動音声なのかもしれない(笑)。それに、事実いたずら電話で悩んでいる人はたくさんいる。きっと、相手は沢山リストを持っていて、片っ端からかけている人なのかもしれない」と、相手の日常が想像できました。そうしたら、気持ちが楽になっていきました。
 たまにかかってきましたが、出て切る、を繰り返していったら、次第に電話はかからなくなりました。


 ここで、私が電話を拒否していた時と、電話を出るようになったときとで、変化していることがあります。もう、お分かりかと思いますが、「相手の立場を想像してみたら楽になった」ということです。

 その話をクライアントさんにしたら、「相手のことを想像してみることは、あまりしてみたことがありませんでした。そう言えば・・・・」と、相手の境遇について、他の人から聞いたある話を思い出していました。そう思えば、大変なこともあるのかな? と思えてきたそうです。

 「自分に責任がある」「謙虚になりなさい」という考え方を親や周りから言われてきていたので、何か起きたら、「自分が悪いことをしたから」という思考パターンに陥りやすくなっており、「相手は何でそういうことをしたのか?」と想像するところまで、考えがいかなかったようです。問題があれば、自分を責めて、マイナス面に着目してしまい、自分をどんどん辛くしていたのです。

 セッションの中で、初めて、相手のことについて考えてみたことで、クライアントさんも、とても心が楽になっていったようでした。

 私も、いたずら電話の一件で、「自分が悪いからだ」と責める癖があることに気付きました。それをきっかけに、過去、自分のせいで悪いことが起きたと思っていた出来事について、ニュートラルな気持ちで、今一度、考えてみる機会を持ちました。その時に、即解決した気でいたので、過去の済んだ出来事について考えるなんて、ほとんどしたことがなかったのです。

 ある本に「経験としては受け入れて、感情の部分で受け入れていない」という記述を目にしました。確かにそうだと思いました。

 また、セラピストの知人が「もし、相手が悪かったとしたら? って考えてみたらどうですか?」と言ってくれたこともヒントになりました。
 最初、その言葉に対して、「相手のことを悪く考えてはいけないと思っているから、考えられません」と返答したのですが、でも、悪かったとしたら? と仮定して、考えてみるのも悪くないなと思えてきた頃、考えてみました。

 考えてみたところで、「相手も悪かった」と思ったのかというよりも、「相手も自分も未熟だった」という結論に辿りつきました。相手のことも想像してみることで、ようやく自分のことを許せたのです。

 そして、今の自分だったら、こう言うだろう、というところを想像してみたら、あれから随分成長した自分を感じることもできました。自分を責めすぎていたものが、すーっと昇華されたかのような感覚を味わいました。
 
 その出来事があってから、もう9年も経って、今ごろ受け容れることができたのです。これが、受け容れるか! と大きな発見でした。

 「どちらかが悪い」と白黒はっきり付けずに、曖昧にしておきながら、ただ、考え続けてみる。「相手も自分も悪くない」というニュートラルな位置です。

 また、クライアントさんは、あれこれ考え続けるよりも、どちらか白黒はっきりと素早く決めることが、直感であり、いいことなのだと思っていたようで、曖昧にして考え続けることは、あまりよくないことだと思っていたようでした。

 私は、曖昧にして考え続けることで、直感力が鍛えられるのだと思っています。もしかして、こういう事実が言葉の裏にあるのかもしれないとか、場面から事実を想像して、その発見を相手に伝えることで、相手から驚かれることもあります。

 もしかして、相手はこうかな? と、事実かもしれないことを想像していくことが、心の目で見るということなのです。そんな想像力を育てていくと、いつでも優しい目でみることができるようになっていくのです。自分が優しい目で見られるようになると、世界が変わっていくのです。

 「自分が悪い」と考えれば、そこで考えることは止まります。相手のことを全く想像しなくなってしまう。これからは、「心の目で見ること」が、テーマとして最後浮き彫りになりました。


セッション後、メールをいただきました。

 「新しい考えが入るだけで、こんなにも違うのかってくらい、
 時間が経つほどに、感情とか込み上げてきていて不思議な感じです」

 >おそらく、これまでのことを振り返ってみた時に、また発見があると思います。

 一つの事象から、色々と自分のことが見えてくるものです。
「たまたま」は、きっとないのでしょう。
いつでも自分を見つめるヒントが隠されているのだと思います。



 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

最近起きた、たまたまについて、考えてみましたか?

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