「自分をうまく出せない」で悩んでいる人は多いです。
悩み始めるきっかけは、自分らしくすることで、これまでうまく行っていたことが、急にうまくいかないと感じる頃からです。そうすると、自分に足りていないスキルを学び始めます。自分を貫き通すばかりではなく、もっと人の話に耳を傾けた方がいいんじゃないかとなり、私もコーチングを学びました。

 コーチになって、人の話に耳を傾け続けていたら、「自分はどこへ消えた?」とそんな感覚になった時期もありました。人のサポートばかりで、肝心の自分は何をしたいのか?わからなくなったのです。職業病でしょうか…。

 コーチングは、クライアントさんが主役で、私が聞き役。だから、自分の意見はあまり語らない方がいいし、どちらかと言うと、自分を出さないようにした方がいいのだ、と思った時期がありました。自分発信を控えめにして、私の考えをまとめたものを語るようなセミナーもやらない方がいいかなと、色々と言われることを恐れて、閉じていったのです。

 スキルを身につけることでいいこともたくさんありました。相手がたくさん話すことで、どんどん気づくことが増え、以前よりもいい感触を得ていたのです。「相手の中に答えがある」と、その言葉を口にするのは、難しいような気がしていたのですが、ついに、やっぱりそうだった!と思えるようになれたのです。

 
 先月ふと気づいたことがありました。今の私は、本来の自分らしい発言が、あまりないぞと。「いいから、やっちゃってください!」のように、根拠のない自信や、励まし、強気な発言をしなくなっていたのです。

 先日、ボイトレの先生が、「自分がうまくなることが分かっている人は、絶対にうまくなる」。
と自信を持って発言をしていたのを見て、「強さ」と「信じる気持ち」を感じました。

 私は、いつしか遠慮気味になっていると気づきました。
最近、自分らしい「背中を押す」発言をまた増やすことにしました。若干、恐る恐る発言してみたら、以前の自分とは違って、根拠があって背中を押す発言になっているように感じるのです。

 私が毎日している書くことについては、以前なら感性のままに任せて、書くノウハウなんて、あったら自由に書けないと思い、感覚で書いていました。しかし、感覚的で伝わりにくいこともあり、読む人に工夫して読んでもらう様な負担をかけたり、私が断言した発言をすることで、弱気になる人や、文章がおかしいことで、読む人が理解しにくいものになっていると意見を貰ったりしました。

 TRが必要だとようやく思った私は、自分を抑えて、「型にハマる」ことを、一度やってみようと色々と文章の本を読み、実践するようにしました。『ひとみずむ』をつくる際は、書くこと、構成力アップのTRの一環として取り組んでいました。


 そのようにして、スキルアップの時期を経ていま思うことは、
「自由になるには、一度不自由さを味わう」
ことが、人生で必要なのではないか、と言うことです。

「スキルも経験も積めたし、それなりに結果も出せるようになった」というタイミングで、本来の自分をいまこそ出してみる。きっと、以前の自分とは違った安定感があることに気付くでしょう。

 私にとっては、型にはまる時期があったからこそ、余計なものがそぎ落とされた気がするのです。知人に「文章が別人になった」と言われたときに、自覚しました。夢中で型にはまることを訓練していたので、変化していることに、自分では気づきませんでした。むしろ、訓練中なので、自分で気付いちゃいけないと思っていました。

 コーチングの時、成長の変化に私からフィードバックすることで、気づくクライアントさんも多いので、そんな弱気になっている時は、誰かに言ってもらうことも必要なのでしょうね。


 変化に気付いてからは、自分らしさも織り交ぜながら、リハビリをするかのように、段々自分の言葉で、自分の意見を発言するようにしました。あいまいな語尾も減らして、断定できる「事実」のところは、はっきりと書くようにしました。

 マラソンに例えると、前半は、自分に足りないところを学び、折り返し地点が見えたところで、後半は、本来の自分へ戻っていくようなイメージでしょうか。

 学びを経たあとには、自分がより磨かれ、そぎ落とされた本来の自分らしさが出てくるのだと思います。



 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分のそぎ落としたい部分があるとしたらなんですか?