継続してコーチングを受けている人が、「コーチングで行われているような対話がカジュアルにできたらいいですよね」とおっしゃったので、最近のセッションで、私がどう話を聞いているかなど、シェアしていました。

 すると、普段とは、やはり対極にある対話のようだと思えると。その人が言うには、コーチングでの対話は、その人の「快」に働きかけているような気がすると言いました。

 確かに、セッションで紆余曲折はありながらも、セッションが終わるころには、「快」の方向へと向いています。「快」の方向に向くと、人は考え続けます。セッションが終わって終わりではなく、思考が続くのです。

 先ほどオリエンの感想を頂きました。「あれから思考が巡って、車で道を何回も間違えました(笑)」とのことでした。

でも、「快」へ行く手前は、「不快」を経由する気もしています。

 普段、友達や会社の人、パートナーと話したりしていたら、「不快」となりそうなことでも、こちらの聞き方が、「いいも、わるいもない」という中庸な聞き方になっていると、セッションの場だからと、何を話しても大丈夫な雰囲気を感じて、「不快」のことについて話し合いたい!と楽しみにしているような人が多い傾向です。(笑)

 「なにが不安ですか?」「なにが欠けていますか?」
「どんなことが悲しいですか?」
このような質問も投げかけます。

 先ほど、コーチングを受ける前のオリエンをしました。コーチングという対話は初めての方でした。早速、質問1つで1つ行動することが決まりました。

「転職をしたいと思っています。何をしたいかよくわからないんですが、
 教える仕事かなぁと考えているんです」

「まずは、教える仕事で、探してみたらどうですか?」

「え?あ、そうか。人に話していなかったから、
 分からない状態になっていたのかもしれません」

 このように、話すことが少なくて、「話していないから(アウトプットしていないから)気づいていない」という人は多いような気がしています。

 相手は話しながら、自分がどう思っているか、自分のアウトプットを味わいながら、自分の本心に気付いて行きます。話していて、これはうわべだとか、適当に話したとか、本当に気づきたいことだったとか、本人が自分でリアルな感覚に気づけるものです。

 私は、視点を変えることもあります。「相手に足りないところがたくさんあると、言われていますけど、逆に指摘してきた相手の方が、自分のことを許せていないことがたくさんあるから、あなたのその行動が許せないのかもしれない、と考えてみるとどうですか?」

 「意外とそうかもしれない」と答えた人は言っていました。でも、その推測は当たっているかどうかわかりません。しかし、そう投げかけた時、相手も自分も同じ位置になれるから、初めて自分のことについて考えやすくなったりもします。「上下」も関係ないのだと思うのです。

 「考える」というのは、とてもフラットなものなのかもしれません。

 言い争うことが嫌い、になっている人は、「会話」とは、「どちらかの意見が勝つものだ。だから争いになることは避けたい」と思いこんでいるかもしれませんね。逆に、「言い争うために、説得するにはどうしたらいいか?」と考えている人もいるかもしれません。

 他には、「意見Aと意見Bがあって、意見Cになりました」も、ありです。
コーチングセッションだと、たいていこのスタンスですね。

 セラピーを受けたりすると、例えば、テーマ「悲しい感情を癒す」だったら、そこにピンポイントに焦点があたって、過去の内観をしていきます。そういう特徴もおもしろいとおもいます。コーチングだと、ポジティブもネガティブも色々な方向から考えを巡らせ、過去を振り返ったり、未来のことも想像してみたり、分野は、ビジネスもマインドもあって、私的には、自由ですきなバランスだったりします。

 「快」の対話。普段できる場所、できないところとあるかもしれません。
そんな場所はないかな?と求めるならば、自分がそうなってしまえばいいですね。いつも自分が相手と対話するときに、「どっちでもいい」感覚を持ってあげることで、相手が楽になるのだと思います。「どっちでもいい感覚」って、難しいなぁと私も思っていましたが、まず最初は、「本当に相手のことだからどっちでもいい」と思うところから始めました。(笑)きっと周りの方々に幸せが訪れるでしょう。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分の意見を言うことについてどう思っていますか?