自分の足りないところを補うために、次の進路を決定しようと思うが、気持ちのほうで折り合いがついていない。なので、セッションで話し合いたいということで、対面コーチングを申し込まれた方がいらっしゃいました。

 その人の道の候補は2つあったのですが、セッションが終わってみると、予想もしていなかった新しい、それでいて、今までの自分と繋がる、もっとも納得のいく道の候補が見つかりました。

 セッション後は、帰り道でアイデアが止まらなくなり、駅前のカフェに入って1時間ノートに書きだす作業になったそうです。

 あのセッションを私なりに振り返ってみると、「その人の持っているもともとの素質」「その人にとっての自然体とは何か?」に焦点を当てていました。
しかし、現状「ありのままの素質」に目を向けられていないのは、なぜか?自分で思いこんでいることについて、一つ一つ見て行きました。

・人から認めてもらうには、自分の足りないところの力をつけること。
・何もしていない自分が嫌だ。(いろいろな本からの影響)
・スピードを持って仕事をこなさなくてはいけない。
・資格取得や仕事で成果を上げないと人から認められない。
・常に成長しなくてはいけない。

とても、向上心があっていい思い込みのような気もしますが、
全体的に「外側」を見ている気がしてきました。
そのままの自分だといけないというわけです。

 向上心の考え方として、「そのままの自分」を活かす方向で深めるか、「もっていない」から身に付けないといけないと考えるか、2つルートがある気がします。
きっと、宇宙が味方になるのは、「そのままの自分」を活かす方向で、深めることだと思うのです。

 「そのままの自分」に、まずは気づくことが大事なのです。でも、そこが、見えていない人は多い気がします。世の中的に「優秀」となっていることに目が行きがちで、「自分はできていない」となりがちなのではないでしょうか。

 「ありのまま」で自分を見ていますか?
昨日、あるメルマガで「瞳」は「童の目と書きます。 良い・悪いを付けずに、その対象をあるがままに観る目のことを「瞳」と言うのです」と書いてあって、自分の名前が「ひとみ」だったことに、子供のころから、ありのままを見ることを心がけていたし、今の仕事との繋がり感もあるしで、自分の名前からも、今の仕事は天職なのではないかと、運命を感じてしまいました。(笑)

 そんな私も、社会人になってから、「こういう人が仕事のできる人」という考えをどんどん持ってしまって、いつの間にか、ありのままを見る目のことを、忘れてしまったのかもしれないと思いました。自分の成功体験を人に押し付けることもありました。

 コーチの仕事で、私が偏った目でみて、相手のことを無意識に否定してしまったこともありました。相手から「コーチは判断しないんですよね」とはっきり言って頂いたことで、自分の偏りに気付いたこともありました。

 「ありのままで見たい」をずっと「問い」に持っていて、たまに相手のことでイライラすることがあった時は、「その人をありのままで見るにはどうすればいいのだろうか?」と随分考えたような気がします。

 出てきた一つの答えとしては、イライラしたときは、「ありのままで見えていない自分の性質を相手に見たときに、イライラしている」と分かりました。だから、「ああ、相手は私のありのままの姿を投影しているのだろう」と相手を見たときに、自分のことが許せました。また、ありのままの自分に気付けて、癒された気もしたのです。

 そんな風に自分を内観をしてきたら、どんなセッションでも、「相手のありのまま」を発見しやすくなったのです。

 「自分をありのままで見ること」そこに、怒りとか悲しみとか、思い込みとか、何にもない気がしています。「ありのままを見る目」は、これからも極めたいところです。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

自分を投影している相手はいますか?