半年くらい徹底的に自己対峙のセッションをしているクライアントさんがいらっしゃいます。私と同じく『食べて、祈って、恋をして』に非常に共感し、達成欲がとても高く、外資系金融に勤務している女性のクライアントさんです。それだけで、お忙しさが伝わってきます。達成欲もちょっと私と似ているところもあるなぁと思っています。


 過去に癒されていない感情に向きあったり、思いこみについて考えてみたり、考え方の癖を検証したり、未来のこうなりたい姿を描いてみたりしています。以前は、仕事のことでイライラしていることについて、セッションでよく話されていましたが、今は、自然と食生活を見直してみようとか、自分の部屋を見なおしてみようとか、友達関係では、新たないろいろな発見があったりと、生活がどんどん健康的な方向へと進んで行っています。


 私も1年間、徹底的に自己対峙をしています。とにかくゆっくりしているのです。自分のやりたいことに忠実に生きるようにしていますが、それでは少し、怠けているのではないか?と、基本勤勉な方なので、思ってしまい不安になることもしばしばです。しかし、独立してから結構頑張ってきたので、ここで次のジャンプのために小休止中。それにいつまで、きままな独身生活ができるかもわかりませんから(笑)。

 とはいうものの、この1年間で、ゆっくり取り組まないとできないことばかりに取り組み出しています。子供と遊ぶとか、旅行へ行くとか、ゆっくりブログを書くとか、セッションの回数を減らして、一人ひとりのクライアントさんに集中することもできています。作詞もしましたね。


 徹底的に自己対峙なので、相手を鏡にして、自分自身を見つめなおしています。主に過去に消化しきれていなかった感情に向かい合うことがよくあります。


 相手を鏡にして、投影してみて自分が感じていることに、自分を見つけるヒントがあります。相手に苦手意識を持っている場合、自分の過去の感情が癒されていないことに気づくきかっけになります。その時に「悲しい」と思ったら、ずっと悲しさを味わってみたり。結構、暗い作業なのですが、前向きに味わっています。過去は、「ま、いいか、仕方ない」でポジティブに片したつもりになって、ネガティブを避けたことが多かった気もしていまして…。今頃、感情の後片付けをしています。


 昨日、自分で「違和感」を持っていることについて、自分のノートに思っていることをどんどん書いて行ったら、すごいことに気づいて、まだあるのか?!とびっくりしたのです。どうやら、結構大きめの過去の感情で癒されていないものと気づきました。びっくりしすぎて、ノートにそのまま「ヤダー」「ウォー」とか感嘆の声まで書いてしまいました。クライアントさんでセラピーができる人がいるので、癒しサポートをしてもらおうと思っています。癒してもらいながら、セラピストの視点も勉強です。


 そんな風に、相手を鏡にして、自分との自分関係を良くしていくと、「イライラ」することがすっかりなくなりました。過去の癒されていない感情のフックがどんどんなくなっているので、そうなるのもわかる気がします。そして、「今」を生きている感覚がだいぶ掴めてきています。ほとんど焦ることがなくなったので。


 これから「今幸せ」と感じることが、きっと大切なことという価値観が主流になってきそうな気がしているので、こうして「今を生きる」感覚を自分の中に落とし込んでいます。今、私が目指している感覚は、「一人でも幸せ」です。これは、寂しい意味で言っているのではなく、まずはそこだと思っているのです。


「一人でも幸せ」という感覚を持つと、相手のことを受け入れることができると思います。期待したり、依存したりすることなく、相手に求めていることを自分で満たせているので、受け止める余裕が出てきます。コーチングセッションもそう言った意味で、より大きく見ることができるようになりました。


 着実に私の感じたい感じ、というものに日々近づいているのを感じます。ちょっとまだ実験の途中なので、感覚的な表現が多くなってしまいましたが、今そんなことを考えているのです。


 今日はこちらの質問はいかがでしょうか?

今いる場所は、自分が過去に望んだことだと考えると、どう思いますか?